2012年4月20日 (金)

夢の記憶 6

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2012年3月 3日 (土)

夢の記憶 5

2012年3月3日(土)

8時前に一度目が覚めて、その後3時間くらい二度寝してしまった間に見た夢。

アパートの自室にいるような感触があった。ただし、間取りや外の風景は刻々と変っている様子だった。基本的には、朝、家を出る準備をして、出発しようかというシチュエーション。断片的にしか思い出せないのだけど、黒の紳士用靴下を履いたり、電気を消したりしたのを覚えている。時間を気にしていたように思う。2つの時間を気にしていて、1つは何に対してなのか分からないのだが、7時52分には家を出ないといけなくて、時計がその時間を示しているのをただ見ていた気がする。もう1つは、たぶん高校の始業時間に間に合うかどうかで、8時5分頃に家を出ないといけないはずだった。その時間帯に家でどたばたしていて、アパートの自室にいるはずだったのが、実家の玄関先にいるような雰囲気もあった。もっとも、その玄関先は微妙に実家のそれとは違っていて、内装が違うというよりかは、他の部屋とのつながり方、方角が違うように感じた。身支度をしている間に、8時10分になり、何かを口に放り込んでいる間に8時15分になっていくのを見ながら、なぜか高校の教室に入るシーンを思い出していた。しかし、それは具体的な像を結ばないまま、曖昧なイメージとなっていった。その後のことは分からない。

この夢を振り返ると、夢のあちこちに具体的なものがあったはずなのだけど、今となっては思い出せない。たとえば、口に入れたのはなんだったかとか、時計はどのようなデザインだったとか、周りに誰がいたかなど。そのような詳細がほとんど剥離されて、ただぼんやりとした印象だけが残っている。そもそも、家を出るシチュエーションで、どこへ向かうかは決まっていなかったのかもしれない。それが、時々刻々、時間が過ぎていくという形で現れたのかもしれない。高校への登校だったとしても、かばんに詰めていたものや服装がそれと関係していたようには感じられなかった。

最後に1つ。アパートの自室にあるベランダを見ていた。ベランダには、部屋に侵入するかというほどの水が溜まっていた。スライド式の扉を閉めても、なぜかその扉は下部に2cmほどの隙間があった。室内は実際の部屋よりも広く、扉の近くに押入れがあった。その中から洗濯カゴをとりだし、扉に並行するように並べ始めた。おそらく部屋に浸水してきたときの、土嚢の代わりにしようとしたのだと思う。

今、書いている途中に思い出したこと。陸上用のタンクトップや短パンを着た人たちに囲まれながら、自分もそのような格好をして猛然と坂道を駆け上がっていた気がする。その足取りは重く、つま先に思いっきり力を入れているが、なかなか進まない。たぶん、市街地からその坂に続いていた気がするが、坂道の先がどうなっていたかは分からない。もしかしたらこの夢は、二度寝する前に見ていた夢なのかもしれない。

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2012年3月 2日 (金)

夢の記録 23

2007年12月10日(月)

久しぶりに書き出す。

前回から今日まで、夢を見なかったわけではなく、携帯電話にメモを残しておいたのだけれど、それが溜まりに溜まってしまった。

少し長くなるが、日が近いものから書いていくことにする。

今朝、見た夢。

荒川総合運動公園の土手を越えて、川の方に向かって田んぼが1キロ先くらいまで広がっているような、あのような田舎道っぽい直線の道を車でかっ飛ばしていた。運転席にいたのは弟か、それ以外の誰かか、それとも自分だったのかもしれないが覚えていない。かっ飛ばすと書いたが本当にその通りで、ジェットコースター並みに、背中がシートに密着するくらいのGがかかっていた。しばらく行った後に、車を止め、右側のドアから降りると、目の前のその先に、巨大な岸壁か何かがそびえていた。よく分からないのだが、とりあえず大きなもので、岩のような(見ただけのはずなのだが)肌触りだった。車のちょうど右側面に並行するように(距離は遠かった)それはあったが、その岸壁は横に連なっていて、途中で少し途切れているようには感じられたけれど、車の右斜め前方にまで続いていた。それらの岸壁には確認できるだけでも、2対か3対の仏か菩薩が彫られていた。その光景に自分は圧倒されて、歩いていった記憶はないのだが、近づいていって見上げたような感覚にさせる迫力があった。

同じく今朝見た夢。

実家の玄関にいた。なんだかお店を切り盛りしている様子だった。自分はどうだったか分からないのだが、他の4人か5人はブルーのブルゾンを着ていたと思う。自分のほかには、実際の自分の親とは違うが、夢の中での父親と母親、つまり主人と女将がいて、さらに山本君と彼の下に双子兄弟がいて、その3人の兄として自分がいたという感じだった。彼らとは程よい感じでボケとつっこみができていたように思う。奥の台所では、山本兄弟がお菓子の取り合いで喧嘩をしていて、山本君が「ここは店だぞ」と怒って2人に制裁を与えていた。

もう1つ別の夢。

タクシーの車内で待っていた。雨は降っていただろうか。屋外の喧騒は聞こえず、雨のしとしと音もはっきりとは感じられなかったが、独特の静けさがあった。前方の少し先には鉄道が走っているようだった。電車でやってくる誰かを待っていた。タクシーの運転席には誰かいたのかもしれない。自分は右後ろの席にうずもれていた。しばらくすると、黒い学生服を着た2人がやって来て、それぞれ助手席と、自分の横に座った。

別の日に見た夢。

夢の最初にいた場所は、中学校のころ毎日のように渡っていた鴨川のようなところだった。ちょうど鴨川の南方下流から北の方に川沿いに向かっていた。徒歩だったと思う。歩いているのは川の右側、つまり東側だったが、向こう岸に渡ろうとして、ちょうど橋を見つけたので左へ曲がった。その前からちらちらと川の方を見ていたが、実際の鴨川と違って土手から下り坂、踊り場のような平地、そしてまた下り坂となって川岸へ至るというようなものではなくて、むしろ大きな深い用水路のようで、両岸が高いフェンスで仕切られている状態だったように感じた。橋を渡りながら下をのぞき見ると、完全に河原だった。大小さまざまな石がごろごろ転がっていて、しかしある程度ならされて道ができているところもあった。それでも、普通の公道や砂利道に比べれば相当ごつごつしている。その道を原チャリが通過していった。

橋を渡ると見知らぬおっさんに遭遇して、レッズのチケットに関してなにやら話をした。マックに移動し、そこでハンバーガーを買えばチケットがもらえるということだった。マックの店の前で話し込んでいたがその話を中断して、他にも数人いたが隙を見て逃げ出した。走り出した時、自分がいたのは埼大通りにあるヤマダ電機の交差点のような所であることに気づいた。埼大通りに対して鋭角にヤマダ電機に入る道(実際には大泉院通り)を行くと、住宅地があった。一本道が続き、道の両側はみっしりと家々が連なっていた。屋根はあまり高くなかったから、ほとんどが1階建てで、時どき2階建てもあるといった所だったのだろう。猛然と走っていたのだが、さっき逃げ出したと書いたのは、まさに何かに追われていたと感じたからだった。たぶんマックにいた連中だろう。道の脇にはいろいろなものが落ちていて、まっすぐに走りながらも、それらを追っ手に対する罠にしようと頑張っていた。変な玉や壊れかけた人形などがあって、その人形の首、あるいは別のなにかの首を、少し向こうの方まで迫ってきた追っ手に向かって投げた!

そのあとはもう忘れてしまった。

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2012年2月22日 (水)

夢の記録 22

2007年9月16日(日)PM4:00

駅前のような雰囲気で、商店街が立ち並んでいるようなところの、アーケードの屋根の下で、廣田に電話をしていた。自分がその屋根の下にいたのか、廣田がそこにいるのを自分が上から見下ろしながら、その視点を保ちながら電話していたのか、どちらなのかは分からない。試合が朝9:10開始で、8:00集合の予定だったのだが、自分は間に合わないと伝える。なぜかそう思ったのか。その時点で7:30だったから、というのが一番大きな理由のように思われたが、時間を知っていたわけではなかった。

枯れ草が生えたような、ちょっとした空き地らしきところに、人の背丈ほどのフェンスが立てられていた。金網がひし形状に編まれたよく見かけるフェンスだった。その上を歩いて進んでいると、他にも三人いることに気づく。途中、ばらばらになったパッソ(自転車の名前)を見つける。なぜそこにいたのか。

かなりはっきりした夢を見て、いつもよりやや鮮明に覚えていたのだが、二度寝で消えてしまった。

屋敷のような、薄暗くて、広い建物の中にいた。足が折れた人が室内に入ってきた。自分はその人を迎えて、肩を貸し、奥のほうに進んだ。そこには、何かの敗者らしき人の集まる場所があった。

家の近くにある田んぼを囲む道、その半周が200メートルくらいで、残り半周は田んぼではなく、民家の間を通り、バス通りが30メートルほど重なって、そして再び田んぼを囲む道につながる。そんなような道なのだが、それが少しばかり巨大化したような錯覚を覚える感じの道の上を、おばあちゃんが歩いていた。おそらく2人いたようで、どちらも自分と近しいか、出会ったことのある人のように思われた。その道が錯覚を起こさせるのは、道が大きかったというだけではなく(というか、実際そんなに大きくはなかったかもしれない)、道が田んぼと接するところ、つまり田んぼの縁の周上に、なんか板が積み重なっていたからだと思う。自分はなぜか、その田んぼを横切って、ショートカットをするように歩いていた。

上の夢と関連があるのか、上峰の坂の手前にある「こうやまショップ」に向かって歩いていた。

9月16日の夜に見た夢。何のためにそこにいたのかが全く思い出せない。帰りの荷造りをしているところだった。和風の住宅で、廊下伝いに畳の部屋があり、その廊下はコの字型になっていた。正確には、中庭を囲む正方形型であったかもしれないが、向こうの半分は見えなかった。コの字の端から端に荷物を運んでいた。途中、カウボーイハット的なツバの大きい帽子が出てきたり、畳の部屋でなにかをやったりしていたが、何なのか思い出せず。

書類を届けに行こうと思っていたのだが、向こうのほうからやってきてくれた。やってきたのは、なぜか沢尻エリカ風の、というか沢尻エリカだった。最初、下山と連絡を取っていて、渡すものを渡したあと、その娘とは別れて下山と落ち合うというイメージだったのが、いつのまにかその娘と2人で歩き始めていた。相手が手をつないできて、そのとき自分の視点は、手と手が、指と指を折り重ねるようにつながっていくところにあった。あとから思えば明らかにおかしいが、そのときは至って違和感もなく、その後も普通に歩き続けた。場面がどこかの駅前に変わり、ややびっくりしたのは、改札を通るときにPASMOをタッチして通ったのだけど、その後エスカレーターで降りるときにも、手すりの横にPASMOをタッチさせる機械があり、周りを見るとあちらこちらにあって、それらがちょうどバスの降車合図の押しボタンのように見えたことで、それがむしろ面白かった。

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2012年2月18日 (土)

夢の記録 21

2007年8月29日(水)PM10:42

この夢を見てから3週間くらい経つのだろうか。携帯電話に残してあったメモを参照しながら綴る。

リアルかと思うくらい生々しい感覚で、自転車で坂道を上るところだった。その少し前から夢は続いていて、坂を上っているのはその流れだと思うのだが、かなりリアルだと感じたここから書き始める。いたって普通の二車線の道路で、車道自体は極端に狭いというわけではないのだが、自転車や歩行者のためのスペースがほとんどないので、車に追い越されるときは多少緊張するというような道。道路に沿ってファミレスなんかがあったりする道。その車道を、たくさんのチャリンコが駆け上がっていて、後ろのほうにいるとちょうどいい具合にその集団が風除けになっていて、ペダルをこがなくても進んだ(はじめに書いたように、今は坂を上っているところのはずだから、いくら風除けといっても、こがなくても進むというのは考えにくい。しかし、夢の中で、のぼりと下りの感覚が入り混じったような、あるいは自分で自分自身の体を動かさずとも身体が動く感覚みたいなものはあったかもしれない。このメモを書いたのは、(携帯に残すときはいつもそうなのだが)目が覚めてまだ布団に横になっていて、目を閉じればまたすぐ睡眠に戻ってしまうような状態のときに、なんとか書いたものなのだけど、その時には確かに上述の曖昧な身体感覚があったかもしれないが、今ではまったく思い出せない。少なくとも思い出そうとして思い出すことはできない)。

自分はママチャリのおばちゃんの後ろにピタッとついていた。そのおばちゃんが急にブレーキをかけたのか、一瞬ぶつかりそうになったりした。のぼっている途中で、自分の自転車のクランクの長さが短いことに気づいた。そのために非常に足の漕ぎが速く、高ケイデンスだったのがリアルに感じられた。坂道も速くのぼることができた。そもそも、この坂道の場面になる前には、長い長い旅路があった(なんとなくこの坂道は帰り道の感があった)。最初のほうは悔しいことに覚えていないのだが、自転車でずーっと旅をしているんじゃないかというくらい走り続けて、海が見えるところまできていた。海辺というわけではなく、すぐ近くに民家とかコンクリートでできた用水路があったりと、都会然とした感じがあった(別に都会じゃなくてもそういう海沿いの町はあるだろうけれど、なんというか言葉にしにくいが、家にしても水路にしても、海沿いにあるそれではなく、少し内陸の庭付きの高級住宅みたいな(今突然思い出したが、昔、愛知万博に行ったときに、小田原に寄って、そこで遭遇した家のイメージ)そんな感じで、水路については、2つの道の間に挟まれていて、高いフェンスに囲まれている感じの水路だった)。

そのときの海がなんというか幅がなくて、横に見渡せる感じではないのだけど、かなり遠くの方まで見通せた。水路をまたぐようにして続いてく道路を進みながら、自転車のテールライトをつける。あたりは薄暗くなっていた。まっすぐ行くと、高架の高速道路のようなところにつながる道に出た。あの独特のオレンジ色の灯りが目に入る。その細い道は、周りが茂みになっていて、高速と合流する手前のところに、さらに細い脇道があった。その脇道は下り坂になっていて、高架下の一般道につながっているようだった。脇道との分岐のところで、自分は、いよいよ帰るかという感慨を深くしながら、大雑把に方向を確認した。たぶん関東一帯くらいの大きさを(実際には未知の場所なのだけど)、来た道を思い描きながら、帰る方向をイメージした。手で円を描くように、向こうから来て今はこう来て、そしてあっちに行くのだみたいな。そうしている間に、わき道の入り口のところで、小学生っぽい男の子が、自分が邪魔になってしまって進めないでいる様子だった。自分は申し訳ないと道を空けたのか判らないが、互いに少し笑い、男の子は幅50センチくらいのその道を自転車で駆け下りていった。自分は、たぶん福田と菊池さんに見送られながらその道をくだった。下りが終わって、一般道とぶつかるところで右折すると、車が車線からずれて走行しているのが見えた。自分は道を渡る手前で右折したので、進行方向の右側にいて、その車は左側走行でこちらに向かっていた。車と向かい合わせのため、車がずれて走っているのがちょっと怖かった。信号と横断歩道のところで、自分は道路の左側に移動し、左側通行で自転車を走らせて、それが最初の話に続く。この後、坂道を上りきった後にもまだ続いていたかもしれないし、海に行くまでにも様々な出会いがあったかもしれないが思い出せず。スーパーで夕飯を買う(?)

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2012年2月17日 (金)

夢の記録 20

2007年8月4日(土)AM1:40

大学生協でお菓子を買おうとしているところだったのだと思う。いつもの感じで、陳列棚がい1メートルくらいの間隔で立ち並んでいるところの、入り口に一番近い棚と2番目に近い棚の、向かい合った2面を埋めている菓子エリアを物色していた。それがいつの間にか、デパートのお菓子売り場のような、広いフロアの一端に場所が設けられているといったような感じのところにいた。気づくと、馬場ちゃん、粕谷君とともにいたのだが、彼らとはいつの間にか別々になり、自分は大量に敷き詰められた菓子類を見て回っていた。その配列は、ロジャースのそれを思わせたが、それだけでなく、ちょうど膝くらいの高さに、まるで本屋に行ったとき、目線の高さにある棚の下のほうに、表紙がこちらに見えるように寝かされた本たちが積んであるように、本当に多くの種類のお菓子が並んでいた。Jリーグチップスが、すごい平らになって整然と並んでいた。2人はおそらく先に行っってしまっていて、自分だけがエリアを1周したあとに、さらにもう1周していたように思う。懐かしいお菓子もあったが、どこのメーカーか分からないものもあって、いずれにしろ名前は覚えていない。コアラのマーチかミロのような、あんなような緑色の包装が施された何かを見ていた記憶がある。その後、あるいはまったく別の夢かもしれないが、どうやって行ったかまったく見当がつかない広くて薄暗い屋敷の中にいた。その薄暗さは、日が差し込まないことによるのか、それとも今は夜中で、照明がついてはいるものの、昼間ほど室内を万遍なく光で充満させることができずにいる、部屋の四隅が暗がりでよどんでいる、そのような感じだった。その場には、自分を含めて複数人いたことを覚えている。5~9人ぐらいだったと思う。どの時点かは分からないが、それらの人たちが、木の板の廊下を伝い、ゆうに20畳ほどはあろうかという広い座敷に集まった。そしてなにやら議論をしていた。もしかしたらそれは、今まさに殺人事件が起きていて、そのメンバーの中に探偵さんがいてうんぬんという話だったのかもしれない。しかし、自分は誰か他の2~3人とともに、その話題とはまったく違った関心を持っていたと思うのだが。

ビリーが広い体育館のようなところで質疑を受けていた。与野本町をぐるりと回ってバッグを拾う。ちょうど養老の瀧あたりの花壇の角だったと思う。古厩から電話がかかってきて、なぜかテレビ電話のような感じで携帯電話に映像が流れ、彼はちょうど今、コクーンにいるらしかった。味のある、なんというか艶の出てきた木肌の独特の黄土色、茶褐色、木目のある薄茶色などがきれいに走った床を思わせるフローリングのカフェが映っていた。自分はそのとき自転車に乗っていたのか。与野本町周辺の雰囲気を感じていて、今いる場所が現実ではどのような町並みなのかも分かるのだが、夢の中のそこは、現実と明らかに違っていた。おもむろにコンビニがあった。そこで、金を下ろそうとしたのだが、なぜか午後5時になってしまうことを気にしていて、さらに、コンビニのATMに数人が並んでいたのを見て、下ろすのをやめてしまった。携帯を使って、今いる場所の近くにみずほ銀行があるかどうか、どこにあるのかを調べ始めた。それとは関係のない場面で、与野公園をはさむようにして、大宮バイパスの反対側にある、南北に走るバス通り。そこをまっすぐ行って、さいたま芸術劇場に近いところで、小学校か中学校の女の子2人が、螺旋階段を上っているのを見ていた。

はじめの夢は1週間ほど前に見たのだと思う。2つ目の夢はさらに前。両方とも、ここに書き残した夢以外に、少なくとも2~3別の夢を見ていたと記憶する。もちろん内容は覚えていない。

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2012年2月14日 (火)

夢の記録 19

2007年7月15日(日)PM1:00

西部病院から北浦和マンションへとカーブしてゆく道、その雰囲気を漂わせるところにいた。ただし、進行方向の右側に、すでにいくつかの背の高い建物が並んでいるところが違っていた。進んでいるうちに、何人かの人々とすれ違った。その中に、どう考えても奇妙なものが混ざっていた。最初のうちは、それが周りと溶け込んでいるようで違和感がなかった。それは猫だった。猫のはずだった。しかし次第に、その風貌は想像上の動物にも見えた。イエティと呼ばれる人間大の奇妙な生き物。それに似て、ゴリラのように、地面に手がつくほどの長い腕を肩からだらんと垂らし、体全体はたしかに、猫の毛並みのような薄茶や黒の斑点が混じったような体毛で、顔も猫そのものなのだが、ゆっくりと二足歩行している。その猫が遠ざかっていくのを見送った。その後、だんだんと不穏な空気が襲ってきた。周りの人々も、動揺し始めているように思えた。そして、人々は何かに追われるように逃げ始めた。自分も、それが正解だと確信した。

北浦和マンションのような所が舞台だった。後ろからやって来るそれを、自分は物陰から見ていたのか、それとも、自分のすぐ横を通り過ぎたが、たまたま無事だったのか分からない。猫が4つの脚を使って、ものすごいスピードで駆けてきて、通過するのを見た。人々が、食われているという感じはしなかったが、襲われているようだった。自分は、マンションに潜り込んで、1階の渡り廊下から2階の渡り廊下へと、階段を使わずに、よじ登っていった。屋上に着いた後しばらくして、その猫と戦っていたような記憶がわずかに残っている。

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2012年2月13日 (月)

夢の記録 18

2007年7月15日(日)AM0:00

金曜日に見た夢。

空一面が、夕暮れ時の濃い紫色から、次第に自身と地上のあらゆるものを、暗く、濃い藍色に染めていく、ちょうどその様な時間帯だった。広い空き地みたいなところで、後ろの方に道路がある。その空き地の、あるところを使ってステージが用意されていた。ステージというかトークショーのための観客用の座席と、MC用のイスが対面して並べてあるような感じだった。ただし観客席はあったかどうか分からない。自分は、聴衆の後ろのほうにいて、イスは使っていなかったと思うし、ステージもはっきりとは見えなかった。ただ遠くのほうから声が聞こえてくるだけのような状態にあった。座席はあったとしてもパイプイスで、屋外での簡素なイベントといった状況だった。薄暗がりの中、ステージにはオレンジ色のスポットライトが浴びせられていた。トークショーの主催者は浜田先生のようだった。それから、養老孟司さんや他にも数名が来ているように感じられた。おもむろにトークが始まって、浜田先生はゼミでも面白いらしいが、学生のことを、「私の信者たちが」などと言って聴衆や学生を笑わせていた(現実の浜田先生の面白さはこういうものではない。ただ他の教授でこういう感じの人はいるらしい)。俺は、その光景を、客の頭と頭の間から覗くようにして見たり、いったん引いたりして、その間ずっと、ステージは遠くに感じられた。トイレに行きたかった。ステージを正面に見たときに、真後ろにはステージと平行に道路が走っていた。幅3~4メートルの普通の道で、ここの空地との段差はなく、ほぼ一体となっていた。その道をまっすぐ行くと、つまりステージを正面に見て、右の方に行くと、この道の突き当たりでT字路をなすように垂直に道が走り、その道に沿って商店街や平屋、何かの店が混じったものなどが林立していた。そして、T字路のTの字のちょうど右上の部分に、ラーメン屋らしきものがあった。さっきからトイレに行きたかったので、トイレを借りようと中へと入った。入るとなぜか自転車屋だった。いろいろと修理などの作業をしているようだった。ところがやはりラーメン屋でもあるようだった。その直後に奇妙な違和感があった。それが店に入る前のまだ外にいるときなのか、それとも店からいったん外に出たときなのか分からないが、あるカップルに声をかけられた。正確に言うと、彼氏が彼女を探していたか、彼女が彼氏を探しているかの最中で、自分は、その彼女か彼氏に間違えられて声をかけられた。どちらに間違えられたのかは覚えていない。中に戻ると(このとき、初めて入ったというより、中に戻ったという感じがあった。おそらく時間の前後感覚が関わっているのだろう)、注文したのか分からないが、鍋焼きうどんが用意されていた。ただし、この辺がまた非常にあいまいで、ここで鍋焼きうどんがあったから、自転車作業をしていたにもかかわらず、やはりラーメン屋なのだと思ったのかもしれない。そうすると話が最初に戻り、ここで初めて入ったということになる。友人と来ていたのだろうか、右にも鍋焼きうどんが湯気を立てているように感じられた。

店内は5~6席のカウンターがあるだけの狭い所だった。入って左側の壁にトイレがあったので、借りることにした。ドアを開け、個室に入り、ドアを閉めたときに気づく。めっちゃ狭い。ありえない狭さで、まず足場は10センチほどで、正面は腰の辺りまでの高さ60センチほどの壁になっていて、つまり、普通につま先を前に向けて用は足せないので、つま先を横に開いて、半ば壁にもたれかかるようにして、押し付けるようにして小便した。我慢していたのか、かなり長い時間用を足していたが、その間に、合宿で来ているらしいアメフトかラグビーの大群が店に入ってきて、なにやら騒がしかった。トイレを済まし、水を流そうと思って手をかけようとしたとき、その手の先にある空間が奥まで広がっていることに気づいた。流し用の取っ手と手洗い場がそれぞれ別々のところにあったので、俺は壁をよじ登り、奥へと歩いていった。水を流し、手を洗おうとそちらに移動すると、子供用のそれのような感じがした。うまく言えないが、手洗い場は赤と緑のハンドソープが、湧き出る水にどんぶらどんぶら揺り動かされていた。もしかしたらハンドソープではなく、赤と緑の伸縮する網に包まれた石鹸であったかもしれない。さらに、その手洗い場には、そのまま「スピン系」という張り紙があった気がする。そして場面は転換する。前後関係は分からない。さっき、トークイベントのあった場所が、終了後に静けさを取り戻しているという雰囲気は感じられた。俺はすでに仰向けになって、星空が見えていたかは分からないが、暗い夜空を眺めていた。下にはマットが敷いてあり、自分以外にも多くの人がいた。ちょうど俺の足元あたりで、森山中の大島さんが入り込もうとしていたので、俺も含めて周りの人が電車で席を詰めあうように、体を捩じらせてスペースを作った。

今日の夢。

東武野田線大宮駅の改札を出てすぐのところにいた。いろいろと話が入り組んでいた感じがあったが、結局、おじいさんが定期券を持っていて、切符を払い戻してくれということだったと思う。俺は、駅員としてというより、自転車屋のバイトとして、パーツの返品をレジで対応するという感じで、改札の右端にある窓口に行った。そのあとで、下山たちと何処かへ帰ることになった。他にも何人か乗っていたと思うが、下山の車で、元いた場所からだいぶ離れたところまで来た。そこでは、もはや大宮駅にいたとは感じられなかった。千葉県のショッピングモールにいて、運河へと帰るというような感じだった。というより、元々いた場所が、大宮駅のような雰囲気の、別の場所だったのかもしれない。車で移動している最中、何故か自分は後悔の念に襲われていた。駅までどうやって戻るかを考えていた。おじいさんがどうなったか不安だった。車がとまると、そこは白っぽい壁のアパートの前だった。車の中に積んであったのか、外に放置してあったのか分からないが、普通の自転車とロードレーサーを奥のほうまで運んだ。アパートには中庭があり、そこに「パッソ」とロードレーサーの2台を置いた。ふと見ると浅野君がいて、一緒にアパートの階段を上って室内に入った。いろいろな人がいて、玄関のすぐ先のところにいた1つのグループに対して、話の流れで、学生の人妻はいますか(人妻であり学生でもある人)みたいなことを聞いていたような気がする。浅野君と分かれたのか知らないが、俺は奥のほうに行って、偉い教授のような人と挨拶を交わした。教授かどうかも思い出せないのだが、すごく腰の低い方だった感じが印象として残っている。

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2012年2月10日 (金)

夢の記録 17

2007年7月12日(木)

2、3日前に見た夢。メモが残っている。プール、潜水、バイト、あさがた、しゅうでん、ていき。

かろうじて記憶にあるのが「定期」だけだ。気づくと、デパートの広い階段のような、新宿、池袋などの駅で、改札口へと向かっていくような、そんな階段を降りていった。パスモを使って改札口を通ろうとしたところ、定期の期限が過ぎていて、それを知らせるアラームが鳴ったのだが、さえぎる扉が出てくることもなく、そのまま通り過ぎた。期限がまだ切れていなかっただけかもしれない。

先ほど見た夢。大学の生協から、4号館の公道に近い道を通って、食堂へと向かう門の雰囲気に似た場所にいた。だが、実際には、その場所に比べてはるかに広大な場所で、遠くが見えないようなキャンパスらしいところだった。自分と一緒にいた何人かは、ちょうど道路を渡って食堂側の門の中にいて、すれ違うようにして門を出て行く大原を見た。すれ違うというよりも、門を飛び出していくのを、10メートルくらい後方から見送るような形だった。後ろから叫ぶように大原を呼んでみたが、そのまま行ってしまった。

その後、さらに進んでいって、なんというか、見たことはないけど巨大な歌劇場とか、両国国技館みたいな感じの、超高層というわけではないが、圧倒されるような所にいた。その建造物は、地上より少し高いところにあって、幅が50メートルくらいある階段を上っていくような、そのような感じの所だった。そうして歩いている間中、そばにいるのが誰なのかが分からなかった。正確に言うと、今となっては分からない、というほうが実感に近い。そして、自分の知り合いなのか、そばにいたやつの知り合いなのか、ビデオ鑑賞している小グループがいて、非常に面白いから見ろと言う。そこには「井出らっきょ」が出ていたのは覚えているが、他に誰が出ていたか分からない。何をしていたのかも分からない。

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2012年2月 9日 (木)

夢の記録 16

2007年7月7日(土)

夢ではないが、メモノートが見つからないので、先日見た面白かった場面をここに記す。

東武野田線で大学へ向かっていた。途中、東岩槻駅の手前の橋を通過するときに、自分は進行方向に対して右側のドアに寄りかかり、外を眺めていた。そのとき、岩槻駅側の河岸で太極拳っぽい動きをした、白い胴着をまとったおじさんらしき人物が目に入った。通り過ぎたのは一瞬のことだったが、純白の衣服で、岸から川のほうを向いて、片方の足を後ろに伸ばし、もう一方の足のひざを曲げて、体の重心を前のほうに移動するところを目撃した。広く、膝下程度の草が生い茂った平たい川岸で、すぐ目の前には水の流れがある、そんな場所で黙々と一人でやっているのだろうと想像してちょっとおもしろかった。

夢について。ここ数日、眠っているあいだに見た夢が、起きたときにはもう遊離しているパターンだ。やっかいなのは、夢の内容を覚えていないこともそうだが、夢を見ている最中にその夢を把握できていたかということ、そのことについてすら今はっきりとは言えないことだ。というのは、なぜ夢を覚えていないのかを考えたときに、2つのことが気になるのだ。1つは、夢は見ていて、楽しいなり不可思議なり、その世界に浸かっていて、起きた瞬間にそれらの体験と記憶が、「ぱっ」と、または「ふわっ」と消えてしまったということ。もう1つは、夢自体見ていなかった、もしくは非常に把握しづらい夢だったということ。前者については、なんとなく直感的に理解できる。つまりそれが目が覚めるということで、それまでの夢の中での意識と、現実に動き出す意識とが切り替わるというイメージ。この2つの意識は、ある意味では断絶していると言える。このことについては、直感的というだけでなく、それなりの理屈も通っているように見える。厄介なのは後者で、最初に言ったのはこちらの方だ。ここでデジャビュがヒントになる気がする。

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